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結局、世の中のままにならない問題の50%ぐらいは、「土地に縛り付けられていること」がネックになっていて、残りの50%ぐらいは「自分に縛り付けられている」ことがネックなので、位置座標と身体性から離脱できれば割と簡単にハッピーになれるのではないかと思う。
Twitter / @fladdict (via kogumarecord)
「嫉妬深い男がいて,よその男が妻に触れるのを嫌い,村はずれに別に家を付くってそこで二人で暮らした。ある金持ちの男がこの妻と戯れてやろうと思い,バオバブの実を割って中に金の粒を入れ,それをもってケチ男の家に行く。 通りかかったがのどがかわいたので水を1杯のませてくれといい,もっていたバオバブの実を割って食べようとする。中から金の粒がこぼれ落ちる。ケチ男が驚いて,どこでこの実をとったのかと訊ねる。金持ちはすぐこその木だといい,ケチ男と一緒に行く。太い木の棒をたてかけてケチ男が木に登ると,金持ちはたてかけた棒をはずしてしまい,木の下にケチ男の妻を連れ出し,やるんじゃないと妻に向かってわめきつづけるケチ男の目の前で性交する。何度も交わったあと,金持ち男は満足して立ち去る。ようやく木から降りたケチ男は,斧をもって追ったが逃げた男の姿は見えなかった」 モシの村の夜のまどいで子どもたちもまじった聞き手が大笑いする人気のある話で,一度は12歳の男の子の語り手が,二度くりかえされる性交シーンを「トントントン,トトントン」と擬態語で描写し,聞いている大人も子どもも大笑い。
性について考えていることを書いていきます (via otsune)
つけると妊婦の気持ちが分かる重りみたいなやつあるじゃないですか。あれと同じで死にたいと言う他人に命の尊さを説く人たちが同じくらい死にたくなる薬を開発してほしいですね。同じくらい死にたい状態で命の尊さが説けるのか見たいんですよ。たぶん死ぬと思んですけどね。
Twitter / onoholiday (via twinleaves)

(Source: nagatsuki)

Q4.「植民地支配」「侵略」という学術上の論争ではなく、そもそも「申し訳ない、謝罪に値する」行為ですらなかったのではないか。


A4.私は「申し訳ない、謝罪に値する」行為だったと思うが、そういう意見もあることは否定しない。仮にその意見が成立すれば、政治的にも謝罪する必要はなくなるので、大きな意味がある。
ただ、これは日本国内で議論していても無意味。諸外国(アメリカ、ヨーロッパ、アジア)にそういう論争を仕掛け、勝ってはじめて意味がある。
日本の政治家には、そういう徹底論争を仕掛ける人はいないように見える(いったん仕掛けても、アメリカで旗色が悪くなるとすぐに村山談話に逃げ込む)。
だとすれば、この意見は負け犬の遠吠えでしかない。

歴史認識、慰安婦問題に関する私の考え|霞が関公務員の日常 (via raurublock)
日本でも,歴史をさかのぼれば,性に関して今より開放的だった時代もありました。 たとえば,江戸時代以前の日本の庶民に関しては(武家や公家など上流階級は別にして),処女はほとんど道徳的な意味を持たなかった。どういうことかと言えば,既婚女性が夫以外の男と性関係を持つのは咎められたけど,未婚の女性の性関係についてはほとんど自由であったようです。 このため,戦国時代に日本にキリスト教を伝えた宣教師たちは,マリアの処女懐妊の道徳的意義を日本の庶民に理解させることができなかったというエピソードが伝えられています。当時の日本の庶民は,処女であることがなんでそんなに偉いことなのか,理解できなかったのです。
性について考えていることを書いていきます (via otsune)
気になった部分を箇条書きにしてみると…… ・いつも介助してくれる男性スタッフが、その日に限っていない ・身長150cm台の女性の友人と二人っきりで食事 ・デニムを履いている日は自分で階段をのぼることができるが、仕事の都合でスーツを着ていたので、自力で階段はのぼれず ・店とのやりとりをした女性は、泣きながら階段を駆けおりてきた ・友人を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあり、喧嘩調でやりとり ・場所は銀座の隠れ家的イタリアン&ワインバー ・乙武氏は2001年3月結婚し、子供が2人いる うーん、既婚男性が妻じゃないと女性と銀座の隠れ家的なワインバーで、二人っきりで食事。しかもスーツで、いつもいるスタッフがいない。 どーみても、「浮気をしている」としか思えないのは、私だけでしょうか?(小町話法)。浮気相手が泣かされたので、いつも以上に激高したのでは……
乙武氏のブログ記事を読むと浮気をしていたとしか思えない件について - Hagex-day info (via otsune)
女も男と同等の人格を持つ人間であることが当然のこととして受け入れられたのは,さほど昔の話ではありません。しかし,女が自分の人格を認められず,男の所有物とされていた時代から,強姦は罪として罰せられてきました。 恐らくそれは,他人の所有物を傷つけたから罪とされたのでしょう。女に対する罪ではなく,女の所有者(夫または父親)に対する罪。 実際,所有者は,自分の所有物を傷つけた加害者に憎悪を抱く一方で,被害者であるはずの女(自分の所有物)に対して,その不注意を責め,家族の恥さらしとして非難し,自分(女を所有し支配する者)への裏切りとして糾弾し,時には 「犯されるくらいならなぜその前に死のうとしなかった」 とか 「汚辱を受けながらよくもおめおめ生きておれるな」 という言葉を投げることも珍しくはなかった。 「珍しくはなかった」と過去形で書きましたが,むしろ「珍しくはない」と現在形で書くべきでしょう。現在でも,女を自分の所有物と信じて,このような言葉を吐く男は珍しくないから。
性について考えていることを書いていきます (via otsune)
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